アパホテルの社長はいくら稼ぐ?噂の年収から家族構成まで真相究明!
アパホテルは、日本全国に7万室もの客室数を備えている、一大ホテルチェーンです。
テレビCMでもおなじみの元谷芙美子社長がマスコット的存在となり、アパホテルのイメージをけん引してきました。
その売上高は、700億円。
社長の年収も、相当な高収入だろうと想像できます。
アパホテル社長の年収や家族構成、自宅での様子など、気になるアパホテルの詳細について、お話します。
Contents
「アパホテル」とは?
アパホテルの前身は、1971年に元谷外志雄(ペンネームは藤誠志)さんが創業した注文住宅販売会社の信金開発株式会社です。
以後、関連会社を設立した元谷外志雄社長。
アパ建設株式会社、アパ住宅株式会社、アパ総研株式会社、アパサービス会社の設立を経て、いよいよ1980年に設立されたのが、アパホテル株式会社です。
アパホテル第1号店となったのは、1984年にオープンした石川県金沢片町のアパホテル。
その後は、全国にチェーン展開をし、さらなる事業展開も進められました。
アパグループ株式会社、アパコミュニティー株式会社、アパホーム株式会社、日本開発ファイナンス株式会社を設立。
1994年にはアパホテル株式会社の社長に、元谷芙美子社長が就任しています。
元谷芙美子社長は、元谷外志雄氏の配偶者であり、芙美子社長が就任してから、勢いは衰えるどころかますます発展を遂げています。
現在では、約7万もの客室数を備え、400以上のホテル数を抱えているアパホテル。
アメリカやカナダにもチェーン網を拡げ、その勢いはとどまる様子を見せません。
アパホテル社長、元谷芙美子氏
アパホテルのマスコット的存在だった元谷芙美子氏は、1994年から社長に就任。
見た目のインパクトが功を奏して、一気に注目度を高めたアパホテルの社長。
就任してからは、ずば抜けた業績を繰り出し続けています。
ここでは、常に注目を浴びている元谷芙美子社長について、見ていきましょう。
社長になるまでの経緯
1947年生まれの元谷芙美子社長は、福井県福井市生まれ。
高校卒業後、地元の信用金庫に勤務していたところ、別の信用金庫に勤める元谷外志雄氏と出会い、結婚しました。
元谷外志雄氏が1971年に起業した信金開発株式会社の取締役に就任、1994年にアパホテル株式会社の社長に就任するまでは、アパホテルの広告塔として活躍していました。
特に、多くの人の目を奪ったのが、華やかな帽子とミニスカートのスーツという出で立ち。
半生の不幸ネタを講演で語ったり、強運がつくというふみこ携帯ストラップなどを売り出し、強烈な個性でメディアにも多々露出しました。
おかげで、アパホテルの知名度は、飛躍的に伸びたのです。
ド派手な風貌にもかかわらず、経営には真面目な元谷芙美子社長。
アパホテル社長就任後に法政大学に入学し、卒業後は早稲田大学大学院に入学、博士課程を修了という経歴も持っています。
家族構成
元谷芙美子社長は、福井県でも有名な進学校である、福井県立藤島高等学校を卒業。
在学中には、生徒会をはじめ、放送部、陸上部、弁論部に在籍し、オールマイティに大活躍していたそうです。
高校時代から、トップを取ることに快感を感じるようになったといいます。
県内の福井信用金庫に就職したのも、成績優秀でお堅いところがあったからでしょうか。
福井信用金庫では、組合の会合にて小松信用金庫に勤務する元谷外志雄氏と出会い、結婚。
夫の会社の社員として働き始めた芙美子社長は、営業要員だったといいます。
他の社員を飛び抜けてトップの成績を取ったことから、アパホテル社長に抜擢されたのも当然です。
仕事でも優秀な実績を残し、2人の子供も出産している芙美子社長。
長男の元谷一志(いっし)氏は、グループ統括会社であるアパグループ株式会社の代表取締役社長を務めています。
次男の元谷拓氏は、アパホテル株式会社の代表取締役専務です。
年収は5億3000万円!
アパホテルを創設した元谷外志雄社長の年収は、全国2位で33億円という履歴があります。
総資産は約2200億円と、全国4位の実績。
夫である外志雄氏に比べたら低いといえますが、元谷芙美子社長も負けてはいません。
元谷芙美子社長の年収はなんと、5億3000万円。
テレビ番組での自己申告ですが、ほぼほぼ真実でしょう。
福井県出身で、現在は東京都港区の高級住宅街・西麻布に500平方メートルの土地を持ち、大豪邸を建築してお住まいという芙美子社長。
悠々自適の生活がイメージされますが、仕事に飛び回り、休む間もないのかもしれません。
また、稼ぐことが楽しい反面、もはやどのくらい稼いでいるかという自分の実入りには興味がない可能性もあります。
仕事にまい進し、成果を上げることが、芙美子社長の一番の生き甲斐なのでしょう。
ド派手な元谷芙美子社長
アパホテルを全国的に有名にしたのが、元谷芙美子社長のド派手なファッションです。
常に帽子を忘れないオシャレさは、英国王室や日本の皇室の女性を思わせます。
帽子と必ずしもマッチしているとは言い難いのが、やはりド派手なミニスカートのスーツファッション。
その独特なキャラクターが評判を呼び、芙美子社長は、社長に就任する前からアパホテルのマスコット的存在だったのです。
人前で目立ったり、活躍することが何より好きという芙美子社長。
現在の立場は、なるべくしてなったという結果なのでしょう。
また、芙美子社長の帽子は、230個ほどもあるのだとか。
講演会のときにかぶるだけでなく、歌手活動の際にもオシャレを楽しんでいることでしょう。
芙美子社長の顔がプリントアウトされたグッズの数々もなかなかの人気で、アパホテルカレーではなく、アパ社長カレーと名付けられた本格派レトルトカレーは、2年間で30万食も売れた実績を持っています。
他にも、ラーメンやせんべい、ミネラルウォーター、ホテルの客室には芙美子社長の顔が印刷された駄菓子まで用意されています。
不思議と記念にグッズを買い込んでしまうのも、芙美子マジックです。
広告
アパホテルでは、広告でも一躍注目を浴びました。
アパホテルの社長に就任した直後には、「私が社長です。」のコピーの横に、芙美子社長のドアップの笑顔が並び、強烈なインパクトを与えています。
新聞の一面広告をはじめ、街の巨大看板や電車の中吊り広告などにも、芙美子社長の笑顔がさく裂。
担当した大手広告代理店からすら、評価が低かったとのエピソードが残っているほどです。
たちまち物議をかもし、世間から酷評を買ったアパホテルの広告。
しかし、この強烈な広告が世間に影響を与え、アパホテルのイメージを根付かせることになったのも事実です。
つまり、戦略としては大成功だったということ。
外志雄社長と芙美子社長も、してやったりというところでしょう。
自宅
アパホテルの社長ともなれば、超豪邸に住んでいることが容易にイメージできます。
福井県出身で、アパホテルの1号店も金沢だっただけに、元谷芙美子社長の自宅は北陸かと思いきや、現在は東京の港区西麻布に超豪邸を建築。
港区西麻布といえば、都心でも高級住宅街として知られる一画です。
外国人のエリートや芸能人が多く暮らす地域でもあり、広尾や青山といったセレブの街にも接しています。
芙美子社長が所有する敷地面積は500平方メートルといいますから、六本木にも近い都心の西麻布に、それだけの土地を購入できただけでも驚異的。
ただし、芙美子社長にとっては、容易に手に入れることのできた自宅なのかもしれません。
プライベートジェット
西麻布には、ロールスロイスからフェラーリと、高級外車がズラリと勢揃いする元谷芙美子社長の自宅。
それだけでも日本人離れしたセレブぶりですが、飛行機での移動の際にはすべてプライベートジェットを使用しているというのですから、驚きです。
ビジネスに、プライベートにと、国内外に飛び回っているであろう芙美子社長のプライベートジェット機は、内部がどのような仕様になっているのか気になります。
最後に
アパホテル社長の年収や経歴などについて、参考になりましたでしょうか。
一度見たら、忘れられないルックスに、強烈なキャラクター。
第一印象ではギョッとしてしまう人が多くても、その半生や仕事の経歴を知るほどに、尊敬の念を抱かないわけにはいかないのが、元谷芙美子社長の持ち味です。
ビジネスで成功する方法だけでなく、愛される方法まで知りたくなる、芙美子社長のキャラクター。
アパホテルになくてはならない存在として、今後も健在し続けてほしいものです。
成長著しいアパホテルは、経営不振とは無縁。
投資対象としても、検討してみたくなる企業です。
- 国内外に、7万室の客室数を備えるアパホテル。
- ド派手な風貌で広告塔となった、元谷芙美子社長。
- 息子2人も、アパグループの取締役。
- 元谷芙美子社長の年収は、自称5億超。
- 社長就任後に大学と大学院を卒業する意欲と卓越した経営手腕